色紙を細かく切って貼り込んだ“貼り絵”に、
アクリル絵具によって縁取りの線を立体的に施した“線画”。
この二つが出会ったのものを『貼り画(はりが)』と呼ぼうと思います。
人生。それを想うとき、嬉しさや喜びを感じる反面、いつも何故か、少し怖いような、焦るような気持ちにもなります。生を受け死を迎えるまで、だれもが等しく時を過ごし、決して巻き戻されることがない。つまり人生の不可逆性。何をいまさら当たり前のことを、と笑われそうです。しかし、すでに手にしているつもりが、そのじつ、すり抜け続けていたり、分かっているようでいて、分かっていないことを知らないだけであったりと、この当たり前という実感には、ことさら注意が必要かもしれません。
人生の不可逆性に気がつき、立ち止まるとき、その影響を受けないでいられるほど、私たちは強くはありませんから、ときに必要なことと重要なことを違えることもあります。つまり、何をどれだけ持っているのか、何をどれほどやったのか、ではなく、“いつもどれほど向き合ったのか“を人生の真ん中に据えておかないと、普段通りの必要なことにばかりに、心が占められそうになるものです。そして、自分の人生がこの“不可逆的な流れ”であるという実感が薄れ、それでも時は一様に流れ続けるわけですから、ふとした拍子に、心がざわざわと、そう、焦り出すわけです。
そんな時はこうします。情報や事物に迫られ、これが正しいと、あれが欲しいと、念じ叶えようとする、怒涛の日々を過ごしていたとしても、人生の流れが、目の前に自然に連れてきた事実と向き合い、1分1秒でもいいから、自分の感性の全てを、その瞬間に捧げます。それはかすかな香り、ちいさな出会い、時には見えない気配であるかもしれません。とにかく、ピンッとくる瞬間を、ただただ見つめ、そしてスケッチブックと心のなかに含み留めます。それを時間をかけて反芻し続けていると、作品制作へ向けた“正直な衝動”が芽吹き出し、次第に衝動の中に“気づき”が果実のように実り始めたなら、そろそろ描く頃合いです。こんな工程を繰り返していると、あの焦りの気持ちが少し緩和していくものですから、自分にとっての“重要なこと”に留めつなぐ舫綱のようなものが、この『Treasure』シリーズと呼べるのかもしれません。
貼り画と命名した制作手法は、線描した下絵に折り紙を中心とした色紙を貼り込み、一旦、貼り絵を作った後、その上からアクリル絵具による縁取り線として、注射器を使って施します。想いに近づける表現を目指し、数年間、試行錯誤を続けたわけですが、結果としてたどり着いた、細かい作業の積み重ねは手間ばかり。ましてや先述のとおり、創造のプロセスは、どこまでも感覚的で、言葉で伝えるのが、向いていないのかもしれません。しかし、この作品制作を通じて、いつも思い至るのは、心と感性を携えた私たちは皆、この世に手ぶらで生まれ来て、手ぶらで帰る、という事実。たとえ終始、感覚的で、ありふれたことであっても、自分の実感が手にした、心が喜び、感性が澄むような出来事の数々は、いつでも、どれでも、かけがえがなく、人生が不可逆的だからこそ、いよいよ『宝物』と、そう呼びたくなるのかもしれませんね。
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