Toy series(トイ シリーズ)2020
技法:紙版画 / 用紙:かきた(版画用厚紙) / サイズ:297×420㎜(※MANGO HOT-AIR BALOONのみ420×594㎜) / エディション:モノタイプ
忘れられない色。そんな、色にまつわる特別な体験には、ほとんどの場合、状況や姿形といった、ある種の具象性が伴なうような気がします。そして色の感動を、ふっとした拍子に思い返すとき、その具象性が“手掛かり”のようになるから不思議です。車窓から見た遠浅の“海の碧色”、旅先の雪景色に映える“空色の影”、虫の音に耳を傾けながら、真夜中に淹れた“紅茶の緋色”。そもそも体験というのは不思議なもので、このように実際に体が直面し、五感を通じて得たことであるのはもちろんのこと、詩や小説、音楽などのうちに見出す“想像の具象”にさえも、ありありとした色の体験を得ることだってあるわけです。色のインスピレーションは、それが現実であれ、空想であれ、必ず何か具体的な事柄とともに自分に訪れ、記憶の熟成庫で時間をかけることで、体験という事実の枝葉が朽ちていき、最低限の手掛かりだけを残した、純粋な色の感動となって、いよいよ“忘れられない色”へと昇華されていくような気がします。さて、前作のToy seriesのリリースから、およそ3年を経た今回のToy series 2020は、僕自身の生活(人生)の変化と、その機微の内に育まれることで、大きく2つの要素が変化したように思います。その1つが冒頭での“色”でした。この“忘れられない色”を再現しようと、しばらくの間、絵の具そのものの色域を広げる(つまり色相や彩度の拡張する)ための工夫や、ローラーワーク(紙版へ対するローラーでの絵具の塗布の仕方で、色の見え方がまるでかわってしまう…)のあり方、馬連を振るう際の心身の運用の仕方など、一見すると伝わりにくい(笑)試行錯誤を重ね続け、その結果、ようやく作品が応えてくれ始めた、ということになるのでしょうか。完璧に…というものではないのですが、それでもいよいよ、本当に飛べる翼を得たような、それほどの変化がありました。Toy seriesにおいて、色に担ってもらっているのは、当初から変わらず、生活や人生で得た“喜び”そのものですから、その再現に多少なりとも自在性を得るということは、絵を想像中は、なんといいますか、大変に心が踊り、それを刷る段階ともなれば、馬連に羽でも生えたような楽しさを感じるのです。そのかわり、色作り(調色作業)においては、一日がかりの(今まで以上に)真剣勝負です。色の再現おいて、これまでは諦めなくてはならなかったボーダーラインが、グンっと先へ伸びたことで、結果として追求の深度と複雑さが増し、Toyなどと可愛げな作品名とは裏腹に、心身がヘトヘトになります。それでも、意中の色に手が届いたときは、代え難い喜びを得るものですから、ついつい次の手を出してしまう…という具合なのです。そして、さらにもう一つの大きな変化、それはフォルムです。気になるモチーフに出会うと、まず始めに、それをずっと見つめ続けます。しばらく見つめていると、ああ、ここがこうなっているから気になったのか…と、自分なりに得心が行くのですが、そこからが本番です。この自分なりの納得が、気になった理由の本質的な的を射ているかどうかを、どうしても確かめたくなり、今度は膨大な数の類似モチーフを、手当たり次第に(またしても)見つめ始めます。そうすることで、“ふっと気になる”という自分のものかどうか、まだ判然としない感覚から、“ここが好き”という実感を伴た自分自身の経験となります。こんなことを一つのモチーフの中の、車輪だの煙突だのと、形やその位置関係など細かいことの決定において、行ったり来たを幾度も積み重ねてフォルムが生まれていくのですが、実は最終的に大切にしているのは、“ふっと気になる”という明快ならざる、あの感覚なのです。矛盾するような話ですが、このソフトでライトな感覚は、“なんかいいよね…”という誰しも日常生活を通じて知っている体験であり、持っている感覚ですから、作品としてはそこに繋がりたいという気持ちがあるのです。つまり作品制作で理想とするのは、精密にフォルムを再現する“凄さ”の主張ではなく、自分自身が得た感動のインプレッションを、作品を通じて共有することに、厳密でありたいということなのかもしれません。さて、この色と形。そんな背景をもって、この2つの要素がようやく出会い、3年越しのToyシリーズが仕上がりました。今回は“乗り物”ばかり見つめてきましたが、おそらく次回は“道具”。作る道具も、奏でる道具も、人の営みから生まれた道具の、その美しさの秘訣を、今からじっと見つめていきたいと思っております。
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